氷菓がつむぐ
街の点と点
The Market SE1、イグル氷菓、イグル氷菓大船店。2009年から2021年に渡り湘南に生まれた3つのアイススイーツ店は、オーナーの新安夫(あたらし・やすお)さんと建築家・木津潤平の思いもよらない出会いからスタートしました。小さなジェラート店「The Market SE1」から始まった出会いが、10年以上続く不思議な物語となり、この出会いがさらに縁を紡ぎ、このあとどんな広がりを見せるのか。新さんと木津の対談をご覧ください。
新安夫さんと湘南
新安夫(以下 新)「仕事の関係で住んでいたロンドンから、2008年頃に腰越に引っ越したのが始まりでしたね。当時、HONDAのF1チームの専属シェフをやっていたんですよ。湘南の腰越とか片瀬エリアって、湘南モノレールも小田急線もあってJRに乗り継げて、意外と飛行機通いには便利なんです。仕事をしてるときは朝4時に起きて夜12時まで仕事っていうのを一週間続けて、次の一週間はオフっていう生活でした。じゃあ、オフの一週間をどんな場所で過ごしたいかと考えた時に、やっぱり海の近くがいいなと。実家が静岡で海が身近だったというのもあるんですが、どうして千葉じゃなかったかといえば東京より東には住んだことがなくてあんまりイメージがわかなかった。それくらいなんとなく、湘南はいいなぁ、ということで家を探して住んでたっていう感じですね。」
木津潤平(以下 木)「腰越に住み始めたころはお店をやろうとは思ってないですよね?」
新「もちろんです。当時、HONDAと契約更改したばかりだったんですが、2008年のリーマンショックの煽りを受けて急遽HONDAがF1から撤退を決めたんですよ。自分も新聞で『HONDA F1をやめる』を知って、『え〜!』って仰天してたらすぐにホンダレーシングの社長から電話がかかってきて、リーマンショックの余波を受けて、2年間撤退して2年後に戻る。という説明を受けたんです。じゃあ2年後にまだ興味があったら戻ります。ということにして、2年あるなら、小さいお店をやろうかなと。そこで、この物件に出会ったんです」
危機感、直感、スピード感
木「F1のニュースが出たのが12月の頭。自分に新さんから連絡をもらったのが12月の半ば。その翌年の4月15日には『The Market SE1』がオープンしていた。めちゃめちゃ早かった印象があります。ものすごいスピード感ですよね」
新「ヤバイ!ってなって、もうちょっとじっくり考えようとか、休もうとかは思わなかったです(笑) 物件自体は自宅の近所というのもあって、ふらっと歩いてるときにみつけて、江ノ電が目の前を行き交う風景がいいな、自分自身がお店に立って、飽きないでできるかな。でもこの立地と物件の小ささだとやれることは限られるな。アイス屋とか、ジェラート屋くらいならできるかな。と考えました」
木「最初に連絡をもらって、物件を見て、正直『なんでここ?』と思ったんですよ。駅から少し離れていて、さらになんで新築のアパートの1F? って。さらにイタリアとかでジェラートの修行をしたんですか?と聞いたら『ぜんぜん作ったことない』っていうし(笑)」
新「全部直感なんですよね。物件を決めたのも直感。アイス屋にしようと思ったのも直感。でもそういった意味で、直感だけで自分にはできない不安な部分を建築士の方にちゃんとお願いするとか、ジェラートを作る機械をちゃんとしたものを用意するとか、ちゃんとした牛乳を選ぶとか、直感をカバーして成り立たせるための部分をしっかりと作り込みたいと思いました」
「Rakaposhi」が繋いだ縁
木「いまでも覚えてます。最初の連絡、新さんから『ミクシィ』のメッセージで問い合わせが来たんですよ(笑)」
新「そうそう!(笑) お店にはちゃんと設計士さんを入れて作りたいと思ってから街を歩いていて、鎌倉駅前の御成通りの『Rakaposhi』という素敵なお店を見つけたんですよ。建築のことはよくわからないけど、このお店はおそらくちゃんとした建築家が作っているなと思って、うちのカミさんは検索マニアなんで、調べて!ってお願いしたら、木津さんが『作りました』って書いてる日記か何かを見つけて…」
木「Rakaposhiは実は僕が独立して初めてやった仕事なんですよ。独立前から通っていた藤沢駅前のバーのオーナーが出したお店で、自分でもとても気に入っています。それを当時やっていたミクシィの日記に『完成しました』って書き込んでいたら、それを見たと新さんからミクシィでメッセージがきて…もう最初は半信半疑で(笑)」
新「年末の忙しいときに『半年もしないうちにオープンする予定のお店をお任せしたいんですけど』って送ったわけですから、半信半疑どころか、1/3ぐらいしか信じてくれてなかったと思いますけど(笑)」
「狭さが魅力」への気づき
木「それで現地を見て、この物件でやりたいということを現地で話して、じゃあということで冬休みの宿題として持ち帰って、模型のプレゼンを始めたのは年明け。2月くらいには工事を始めましょうということだったんですが…悩みましたね」
新「いわゆるジェラート屋さんらしからぬ店を作りたかったので、『アンティークショップ的な』っていうキーワードだけお渡しして、あとはお任せでしたからね。でも、出来てみたらこのカウンターと僕のいる距離感がすごく良い。多分お客様の立場でも、一人で来ていても、なんとなく話に加わってしまうような空間にしてもらったと思っていますね」
木「この狭さとか、人と人との近さが魅力と気づくまでにすごく悩んだんですよ。最初は物件がとにかく小さいから、いかにこの小さい空間を広く見せようかと考えていたんですが、年末にウンウン悩んでもどうしてもうまくいかない。これはしょうがないなと思って風呂に入って、潜ってぶくぶくしていたら『…あれ、この感じ、もしかして狭くていいんじゃない?』と思ったんですよね。狭いところに入ってたら、この狭さとか、人と人との近さが魅力なんじゃない?と。そうしたら、鎌倉辺りの、モノがひしめいてる古道具屋さんを思い出して、そうか、この狭さで肩を寄せ合いながらジェラートを食べるとか楽しいんじゃない。と思って、それでわざと不揃いで大きめの家具をいくつも並べるスケッチを描いて、それで今のSE1ができたんです」
人と人とのつながり
新「自分でいうのもなんですけど、自分は実は『料理は得意じゃない』と思っていて(笑) 赤坂で懐石料理、西麻布で天ぷら屋さんと経験を積んできたんですが、懐石料理の先輩方をみていて、こんなにストイックな職人にはなれないと思ったんですね。でもそれなら、どこか良いところを伸ばしていこうと。自分は人と人とのつながりが得意だったので、割烹料理からカウンターの天ぷら屋さんに移ったんですよ。懐石料理はいろいろやらなければいけないけれど、天ぷらならカウンターでお客様とお話ししながらできる。そんな感じでSE1も、ジェラートを食べに来るだけじゃなく、僕と会話をしに来てる人もいると思います」
木「施工に至るまでの繋がりも今思えば、いろんな意味で出会いが凝縮していたと思います。施工にあたり、プランの内容を考えると木を扱うことを得意とする大工さんに頼むのがいいよね。ということになったのですが、当時独立したばかりで大工さんとのつながりが特にありませんでした。そんなとき、建築士がやっているカフェ「ゆるりとカフェ」というのがあって、そこにフラッと入って『大工さんを探しているんですよ』という話をしたら『いますよ。ここを工事してくれた、すごい良い方ですよ』という縁が繋がってきた。それが宅間さんという大工さんとの出会いで、その後、いくつもの建築で一緒に仕事をしていくような、濃い出会いになりました」
The Market SE1からイグル氷菓へ
新「みなさんとの出会いがカタチになり、SE1が無事にオープン。順調にお客様もついてきて、季節を重ねていくわけですが、そうこうしてると元々旅好きの血が騒いで海外旅行に行きたくなってきた。でも年に何度か海外旅行に行こうとなると、売り上げを増やす必要がある。今のお店で売り上げを増やすのは難しい気がするから、それならもう1店舗やるしかない。これは木津さんに頼るしかないと思って、『イグル氷菓』に繋がるんです。アイスキャンディを売りつつ『氷菓研究所』という機能に特化した製造所を設けたのが2012年のことでした」
木「SE1を作った時に、『腰越と片瀬の間に次々作っていきたい』という話は最初の頃からしていて、あの古民家が空きそうだとか、この物件も良さそうだみたいな話をしてたんで、本当に依頼が来た時にはうれしかった。だけど、また『アイスキャンディ屋さん』で、また氷菓というのにびっくりしました!」
新「冬場のジェラート屋さんの売り上げが夏のように行けば、もしかしたら1店舗でも良かったんですが、冬にアイスはどうしても落ち込んでしまうので…。それで、どうにかしたいと考えた時に、夏場以外にはジェラートだけじゃなく、この距離感でお酒を飲んでピザでも食べられたらいいなと感じたんですね。それで、ジェラートマシンをイグル氷菓のラボに移して、その分空いたジェラートマシンの場所にピザ窯を置くことにしたんです。…でも実を言うと、その後冬場にもジェラートマニアの方とかが食べにきてくれるようになって、もしかしたらちょっと我慢すればジェラート屋さんの売り上げだけで年間の目標が達成したのかもしれないんですが、そんな経緯で『イグル氷菓』が出来たのもまた巡り合わせと感じてます。そして、そこからしばらくイグル氷菓はラボとして水面下で縁の下の力持ちをしていたわけですが、今回の大船GRAND SHIP内の、FOOD & TIME ISETANへのイグル氷菓大船店オープンのオファーをいただいたことで、イグル氷菓がまた息を吹き返した。そんなふうにも感じています」
3つの『氷菓』
木「この3店舗の距離感がいいですよね。ちゃんと新さんの目が届く距離感で、3つのお店が『氷菓』しばりでそれぞれ違うことをやっているという」
新「ジェラート、アイスキャンディーと来て、大船でやるとしたらかき氷かソフトクリームかなと思ったんです。ですが、かき氷は鵠沼海岸に埜庵(のあん)というレジェンドがいて、まさか同じことはできない!と思って結局ソフトクリーム一択でした(笑)」
木「マーケティングとか、経営戦略とかの目線で普通に考えたら同じものをコピーしてやろうということになるのでしょうが、そこをあえていわゆるマーケティングとは真逆のことをしてるのが新さんらしいし、面白いですよね」
新「マーケティングとかは専門外なんで、自分で考えてもしょうがないし、もしもそれをするならプロに任せてただろうと思うんですよね。ありがたいことに大船には一時間もかからず行ける距離だし、新鮮な食材やソフトクリームの素をラボから届けられる。住所だけでいうと、藤沢市、鎌倉市、横浜市の3市をまたいで3店舗展開してなんかすごい大きいブランドみたいでしょ(笑)」
木「『えいやっ!』の直感を商品のクオリティや空間デザインにこだわる事で裏付けして、ご縁で紡いでつながった。このお店の成り立ちはマーケティングでガチガチに作ったお店よりも、しなやかで、たくましく、リスク的にも分散できている。このお店の成り立ち方って、いろんな人へのヒントになると思います」
新安夫さんと木津潤平
新「人と人とのつながりが一番大事だと思うんですよね。僕は実家が静岡だから、静岡でやるんなら小中高の友達が来てくれるだろうけれど、そういうものがない地元でもなんでもないところでやっていくということは、今日この瞬間の人とのつながりを大切にしないといけないって思うんですよ。人と付き合うということはある意味人を利用するということで、それはお互いに良い意味で頼りあうということでもあると感じていて」
木「そういう部分で、新さんと自分はなんとなく似ていると思うんですよね。自分こそ、人に利用してもらって成立する仕事だし、自分もこの街の出身ではないし、目の前のつながりを丁寧にして、少しずつでもいいから広げていくことこそが大事というところも共感します」
新「『地域の人を雇用する』もやってみたいことの最後のひとつだったんです。これもまた、つながりを広げていくこと。求人広告も出しての出会いもあり、もともとお客さんだった方がスタッフになったり、お客様から紹介を受けた方もいらっしゃる。大船に新店舗ができて、人を使うのも最後かなと考えてます。でも、本当に良いスタッフばかりですよ! 一人は子供の頃からの常連さんです。そしてスタッフを信頼して任せつつも、やっぱり自分がちょこちょこ顔を出すことで分子や電子が活性化するみたいに空気が良い方向に変わることも実感できた」
これからの新安夫さん
木「この街で出会いにこだわる一方で、美味しいものでないとダメっていう芯がブレないのが新さんですよね」
新「そうですね。でも、それもやっぱりこれまでの出会いの積み重ねなんだと思います。SE1を始める全然前。イタリアに行った時に、現地でモッツァレラチーズ工房で働いている日本人との出会いがあって、『いずれ店を持ちたい』なんて言ってたら「木次乳業」という良い生乳を紹介してもらって、SE1やイグル氷菓ではそれを使ってます。そう考えると日々の仕事も出会いも旅行もどれもつながっているのかなと」
木「今はワークライフバランスという言葉があって、仕事とプライペートを分けて天秤みたいに上げたり下げたり、天秤っていうのは両方のおもりがなるべく遠くにあったほうがバランスが良いんだけど、僕とか新さんはワークもライフも渾然一体となって、身体の真ん中で丸い玉みたいになってコロコロどこへでも転がっていくみたいな感覚があります。さて、そんな新さんの今後の目標は?」
新「そうですね。なんとなく近いなと思うのは、大船の店舗の壁画をやってくれた『風間さん』という寅さんみたいな風来坊の画家さん。何者かよくわからないんだけど、どうにも無視できなくて、絵もきちんと売れていてっていう人で、この間は金沢に行って、そのあと四国にいって、いまは北海道の真狩村の銭湯で個展をやってるらしくって。悟ってるわけじゃないけど、『お金で幸せになる』のと、人になにかしたりされたりで『心が幸せになる』のは同じくらいに価値があるってわかってるような人。自分としては今のところはお金が欲しいんだけど(笑) でもそれが埋まってきたら次のページに行きたいと思っています」
カフェに暮らす家のつくり方・住まい方
9坪に込めた大きな夢
ちいさなスペースに、おいしいワインとおつまみ、デザートを楽しむカフェと、夫婦ふたりの暮らしとを受けとめる、9坪、庭つき2階建て。 住まい手の思いに導かれながらの、職住一体の家づくりと、軽やかな変化をたどります。
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小さなジェラート店「The Market SE1」から始まった出会いが、10年以上続く不思議な物語となり、この出会いがさらに縁を紡ぎ、このあとどんな広がりを見せるのか。新さんと木津の対談をご覧ください。
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住まいだけでなくカフェを併設したいというご希望を叶え、さらにその2つの空間がお互いを豊かにするように考えました。自分たちらしいこだわりを持つお二人の、人柄や暮らし方がそのまま表現されているようなカフェになりました。
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天気の良い日は爽やかに、雨の日もしっとりと過ごすことができるような、季節や天候が良い意味で作用する空間になりました。家族の気配が、家のどこにいても感じられる「ひとつ屋根の下」の暮らしが、ご家族の成長を見守っていきます。
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家のあちこちに、本はもちろん舞台に関わる小物などが取り入れられ、自然に舞台を連想してしまう暮らしです。書く、編集する、創りだすといったお客様のライフワークを、ライフルスタイルにもうまく組み込んだ空間ができました。
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家族3人で暮らす三角テラスのある家。日々、空を見ながら食事をし、鳥を数え、月の満ち欠けを知る。見える風景はきっとずっと変わらないけれど、お子さんの成長とともに少しずつ暮らしをカスタマイズしながら、変化を楽しんで暮らしていただければと思っています。
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